ひでさん、ブラジルに行くw (追記あり)



さまざまな背景、皆さんの想いを沢山感じながら

ブラジルサンパウロからの生中継をみていました。

ウルっとしてしまいましたヽ(;▽;)ノ


AMAZING!!!!!





HPから 

日本国内で15年間フォホーを演奏し続けて来た日本人によるバンド、Banda Forró Legal(バンダ・フォホー・レガウ)。 なんと今回、ブラジルの非営利団体SESC(セスキ)から招聘され、ブラジルでのイベントで演奏することになりました! 2017年来日したシンガー、Renato Braz(ヘナート・ブラス)がフォホーレガウの演奏を聞いて感動、ちょうどブラジル日本移民110年とサンジョアンなのでSescにプレゼンし、企画が通ったとのことです! 






 3日間連続で見るので、今日は踊る予定ではなかったのに、最初の曲から立って踊ってしまいました。あまりに、うれしくて。ブラジル人に信じられないくらい受け入れられて、すごい沢山の人がいて、この国際交流に会場が幸せに包まれていました。

以上、今井さんから





Text por Renato Braz 訳 Xocoさん (みっちゃんのところから転載) 

ーーーー サンジョアンーブラジルー日本 日系移民110周年 80年代の終わり、私の友人ジュンからマスダミヨコさんを紹介された。ジュンは彼女の一人息子だ。ミャーさん(ミヨコさんのこと)はドリーカイミのポルトという歌を聴くのが大好きで、いつも、今でも、私に歌ってくれと頼むのだ。いつも父のことを考えながら歌う歌だ。父アントニオは彼女を知りもしない。今はジェオランヂアという名前のサントアントニオドジョルダンで、町の守護聖人サントアントニオの日に生まれた。だが登録上は、最も近い登録所があったイリェウス生まれということになっている。


ドリーのその曲はイリェウスの港に発想を得ている。 日本語に初めて接したのはミャーさんを通じてだ。日本の童謡「七つの子」について、彼女は歌い方だけでなく、その言葉の意味までをも辛抱強く説明してくれた。私が日本の歌を歌うようになったのは、この友情のお陰だ。今も続く彼女の息子との付き合いで、日本の童謡について知ることができている。  


昨年3回目に日本を訪れた時、小さなライブカフェ、アパレシーダで偶然フォホー・レガウと知り合った。注意深く聴いてみると、彼らは父が好きだった"O Casamento da Raposa" (Gerson Filho) や "Respeita Januário" (Luiz Gonzaga e Humberto Teixeira)を演奏しているではないか。驚きながらも、「親父は生きている!」と思った。どうしたら16年もの間、ブラジル北東部の音楽ばかり演奏していられるんだ?  


すぐに1908年に初めて日本からブラジルへ公式移民団を運んできた笠戸丸の話を思い出した。 船は1908年6月18日にサントス港に着港、日本政府とブラジル政府間取り決めにより165家族(781人)はサンパウロ西部のコーヒー農園で働く事になっていた。とある移民の話では、船が港に着く前から歓迎の花火が上がり、日本からの移民たちはブラジル人の歓迎ムードに感動していたという。だが実は、サントアントニオの日とサンジョアンの日の間に着いたので、フェスタ・ジュニーナ真っ盛り、それで花火という訳だった。 


ミニ・フェスティバルをやろうと思いつき、SESCがこの国の奇跡、北東部音楽を通じた原点回帰の旅に付き合ってくれることになった。日本移民110周年の今年、この素晴らしい日本のフォホゼイロのバンドは初の海外公演を迎える。カリーネ・テレスとの特別共演も。  


ブラジルには150万人を超える日系人がおり、サンパウロには世界一の日系人コミュニティが存在する。だからこの旅はサンパウロ市から始まり、大きな移民コミュニティのあるサンパウロ州北西部のヘジストロへと続く。何十年にも渡り、そこには日系移民の博物館となっているのだ。 


このささやかなショウには、ピアニストで作曲家のナカムラユリコも参加する。日本と世界の同年代のミュージシャンから賞賛を浴びるアーチストだ。ユリコは宮崎駿の映画音楽に楽曲を提供しており、ボサノバの巨匠ホベルト・メネスカルも彼女のファンの1人で、「彼女の音楽には私の夢も包み込まれている」と語る。  


ツアーの締めくくりは6月19日、日本で数多くのブラジル音楽紹本を出版しているジャーナリスト、Willie Whopperによるトークショーだ。彼の本にはボサノバの歴史や(ファンにとっては)外せないインスト曲についてのガイドもある。 


私に言わせれば、彼は間違いなく日本で我々のブラジル音楽を広めてくれる第一人者だ。この講演はもはやショウになるだろう。なぜなら彼程、日本におけるブラジル音楽の不思議な拡がりを解説できる人はいないからだ。  


この熊本(所謂日本の北東部)出身の日本人は、我々の音楽の原点に、説明のしようもないくらい、かくも深く潜り込んでいるのだ。  


Willieは何度もブラジルを訪れており、いつだったかバイーア州サンフェリックスとカショエイラのパラグアス川の写真を送ってくれたことがある。「日本人が、親父が泳いでた川岸で何をやってたんだ?」自問した。誰も説明できない、おそらく彼自身も。今でも不思議に思っている。 


ブラジルの大いなる財産、その息子達である音楽をブラジルへ返すという、私のこのシンプルな夢の実現に力を貸してくれたCircus Produções とSESC-SPに感謝する。


(音楽とは)価値をはかることなどできない財産、プライスレスで評価をすることすら叶わない。そして我々は皆、その財産を享受するに値するのだ。 


 万歳! ありがとう。





レガウのメンバーであり、Willieさんの奥様でもある、くみちゃんの記事を転載





13日にサンパウロ入りして14日にリハ、15、16、17日の3日間の演奏を無事に終え、本当にホッとしています。写真は今井歩さん撮影の昨夜の様子です。 今回の渡航は、昨年末に来日公演を成功させたヘナート・ブラスが企画、SESC、Circus productionと協働して実現にこぎつけたイベント「JAPÃO - SÃO JOÃO 110anos de imigração japonesa no Brasil」へ Banda Forro Legalとして参加するものでした。 ブラジルに到着した日に日本人ピアニスト中村由利子さんの演奏があり、このイベントの幕開けだということで私たちも参加させて頂きました。ヘナートから幾度となく聞かされてきた日系ブラジル人の友人、マスダ・ジュンさんともお会いすることができました。ヘナートは子供の頃、ジュンさんのお母様から童謡を教わり、日本への興味と憧れを募らせていたそうです。 このイベント用のパンフレットがあるのですが、その序文は後でコメント欄に貼っておきます。 イベントの実現に向けて尽力してくれたヘナート、事前の書類の準備や送迎から何から何まで付きっ切りで面倒を見てくれたパウロ、イベントの受け皿となってくれたSESC、ゲスト参加してくれたカリーニ、イベントをシェアしてくれたり、応援コメントやたくさんのいいね!をくれた皆さん、快く送り出してくれた職場、ブラジル中から集まってくれた友人達、見ず知らずの日本人バンドに暖かい拍手を送ってくれた会場のお客さま、そしてバンドメンバーに感謝。私とW氏以外は皆、今晩帰るので、これから見送りに行ってきます。








0コメント

  • 1000 / 1000